漱石や鴎外の全集未収録の逸文が発見されたというニュースが続く。随時追加されている国会図書館サーチや「ざっさくプラス」でも、本名や一時期使っていた別号も含めて丹念に検索すれば、文豪や評論家等の逸文を見つけられるかもしれない。もっとも、漱石や鴎外クラスでは難しいだろうけども。
さて、今回は逸文ではなく、苦木虎雄*1『鴎外研究年表』(鴎出版、平成8年6月)に記載されていない鴎外の事績について。これまた高橋箒庵(本名義雄)の日記『萬象録』巻1(思文閣出版、昭和61年9月)から。
(大正二年)
六月十五日 晴/寒暖計七十度
[森鴎外博士の喜劇談]
午前森鴎外氏来宅、過日福澤の演芸会にて氏に面会の時、余が考案中の喜劇に就き氏の批評を乞ひたしと言ひければ今日約を履んで来り、我一行[ママ]物と題する著書一冊を贈らる。余は内田山掛物揃並に清元隅田川の版本を贈れり。氏の説に、近頃拙者も或る人より喜劇の注文を受けたるが、聞く所に依れば彼の曽我廼家の五郎なる者は喜劇に就き一種の天才あり、大体の筋を咄して彼等の為すに任すれば自然一般人を喜ばすべき喜劇を舞台に表はし得る由、一度試験したらば面白からん云々。
研究年表には、鴎外の日記を転載した次の記述しかない。
(大正二年)
六月十五日(日) 半陰。午前に、高橋義雄を溜池の仮寓に訪ねる。午後、賀古の家で、常磐会が開かれる。
詳細年譜を作ろうと思ったら、日時も会った相手も分かっているので相手の日記も確認すべきと思うが、その点は物足りない。なお、文京区立森鴎外記念館で13日(月・祝)まで「荷風生誕140年・没後60年記念 永井荷風と鴎外」展を開催中。
追記:鴎出版編集室編『鴎外全集刊行会版『鴎外全集』資料集』(鴎出版、平成21年10月)によれば、『鴎外全集月報』16号(昭和6年11月)に高橋箒庵「森鴎外」掲載。
*1:平成10年没