神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

太田三郎表紙絵の『婦人雑誌』創刊号(増澤出版社、明治44年11月)

f:id:jyunku:20190215195308j:plain木股先生のブログが昨年12月から止まり、古本市でもお見かけしなくなって2ヶ月経った先月。木股先生の分も頑張って拾わねばと気合いを入れて臨んだ大阪古書会館たにまち月いちの古本市。ありました!木股先生もびっくらちょ(?)の太田三郎が表紙絵を描いた『婦人雑誌』(増澤出版社、明治44年11月)。唯書房出品、3000円。同名の雑誌は婦人雑誌社発行など複数あるが、本誌は国会図書館サーチやCiNiiではヒットしない。
目次を一部挙げると、

表紙 太田三郎
扉 学習院女学部教授 岡野栄
家庭の運命と女子教育 文学博士遠藤隆吉
名古屋婦人は日本的である 女子大学校講師戸川残花
京風の色彩ある越後婦人 文学博士吉田東伍
新旧合同の大阪婦人の家庭 女子大学校々長成瀬仁蔵
易に見えた新夫人の寿命 紫法師
お伽話紅葉のお菓子 竹貫佳水

堅い記事が多く、あまり面白い雑誌ではなく、長続きはしなかったかもしれない。もっとも、女性からみたらどうかはわからない。同社の『少年雑誌』3号(同年11月)の広告も載っていて、そちらの方が面白そうだ。

口絵 岡野栄、太田三郎
長さ二十五里ある大洞窟の探検 文学士小野秀雄
自分は偉いと思へ 慶應義塾々長鎌田栄吉
世界大都会見物 早稲田中学校教諭小田内通敏
天使の如き幼年応援隊 慶應野球選手桜井源一郎
口から銅盤を吐く綏安山の仙人 文学士東海林蕉南
白蛇物がたり(お伽噺) 本誌記者蘆谷蘆村

表紙絵は不明。この『少年雑誌』の方は、創刊号(明治44年9月)が大阪府立国際児童文学館にあるようだ。
さて、『婦人雑誌』の表紙絵を描いた太田については、ネットで読める版画堂の「近代版画家名覧1900-1945」によると、

明治17年 愛知県生
明治43年 第4回文展で油彩画<ビーヤホールの女>が初入選
大正2年 第7回文展で油彩画<カッフェの女>が三等賞を受賞
『新小説』などに木版口絵を手がけ、明治末頃からの絵葉書ブームに乗じた『ハガキ文学』や『女学世界』などにアール・ヌーボー風な意匠の表紙絵や絵葉書の図案を描いた。
(略)
昭和44年5月 没

この表紙絵は、数え28歳の作品で太田の画歴の中では初期の雑誌の表紙絵を描いていた時期の作品ということになる。
なお、木股先生は先日中之島大阪市中央公会堂の古本市にお元気そうな姿を現し、ブログ「表現急行2」も更新されました。