主タイトルを見て、「今日は帝劇、明日は三越」の間違いだろうと思う人も多いだろう。著名なそのコピーが確立するまでは、実は変遷があった。嶺隆『帝国劇場開幕』(中公新書、平成8年11月)によると、明治38年三越に入社した浜田四郎が大正初年帝国劇場の筋書で初めて「今日は帝劇、明日は三越」を使用した。それに先行するコピーとして次のようなものがあるという。
・「三越呉服店にも御出ください」(明治43年市村座筋書)
・「三越呉服店は日本唯一のデパートメントストアなり」「吾人は芝居を見たる翌日、三越を訪わざるべからざるなり」「今日のお芝居に御出の方は、明日にでも三越へ御出下さい」(同年歌舞伎座の筋書)
「三越呉服店にも御出ください!(略)今日御芝居に御出の御方は、明日でも明後日でも、是非々々三越へ御出くださいませ。(略)」(明治44年1月市村座筋書)
「帝劇を見ずして芝居を談ずる勿れ、三越を訪わずして流行を語る勿れ」(明治44年2月新聞広告)
「今日は芝居、明日は三越へお出下され」(明治44年3月帝国劇場開場当日、配られた絵入り筋書)
さて善行堂で入手した明治座や市村座のプログラム*1の裏表紙に載ってるコピーを幾つかか紹介しておこう。
「今日は芝居。明日は三越へ御出下され」(明治44年10月市村座)
「今日はお芝居 明日□是非とも三越へ御出下さる様□□上候」(明治45年3月明治座)
「今日はお芝居 明日は三越」(大正5年3月市村座)
「今日は帝劇、明日は三越」がブームになった後も、「今日はお芝居、明日は三越」が使われていたことが分かる。しかし、さすがに「今日は市村座、明日は三越」というわけにはいかなかったようだ。なお、前掲嶺著によれば、このコピーには社内外から批判もあり、大正7年前後浜田が大阪支店に転勤すると同時にコピーは別のものになったという。今回入手したプログラムの中では、大正7年5月市村座のものがまだ「今日ハお芝居 明日ハ三越」を使っている。
- 作者: 嶺隆
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1996/11
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