岡田誠三『自分人間』(中央公論社、昭和52年1月)に岡田播陽の娘で、誠三の妹に当たる照子が昭和13年9月列車から転落死した話が出てくる。残された日記によると、
上京した照子はかねて予定していたように、東海道線国府津の町外れの海べりにある断食寮で数回断食をする。(略)次第に期間の長くなる断食のあとの補食期間中に「施術」「観念の実験」「霊動術」という、それまでの日記の部分には見かけない奇妙な言葉が現われはじめる。
この記述については、ma-tango氏の「大正の畸人、岡田播陽」でも言及されているが、この断食寮が多分特定できた。NDL-OPACによると、小島八郎『断食療法の時代』(関東断食寮、昭和16年4版)の発行地が国府津町(神奈川県)である。