ブッダ・ハンドの人が長谷川鉱平宛葉書を某書店で見つけたとつぶやいておられたので、残り物に福があるかもとゴッド・ハンドの人になりかわってパトロールに行ってきました。そしたら、ありました。昭和9年3月24日消印の長谷川鉱平宛で兵庫県武庫郡本山村の佐野方の昌彦が発信者の葉書を見つける。次のような文面である。
(略)
十六日皈省。四月半ばまで、こちらです。
戸坂氏が辞めらるゝとか、兄から云つて来ました。様子御存知なら御知らせあり度し。
一昨日、突然仁木君が皈省の途すがら、訪ねて来た。
(略)
兄、目下思□の原稿を書いてゐます。多少おくれるやも知れず。ーー
谷川先生、によろしくお伝へ願ひ度し。
(略)
これだけだと昌彦が何者か不明だが、幸い他に佐野方草野昌彦の葉書もあって、発信者のフルネームが判明。調べてみると、色々わかりました。まずは、長谷川鉱平については、『出版文化人物事典』(日外アソシエーツ)によると、
戦後は中央公論社に入社して、『少年少女』編集長、校閲部長などを歴任、『本と校正』(中公新書)などの著書がある。
草野昌彦については、息子の草野敏彦による『くるみの木ーーバカがいとることおことわりーー』(文芸社、2007年8月)がある。これによると、敏彦が生まれた昭和9年2月当時、父昌彦は法政大学文学部哲学科在学中で、母は兵庫県武庫郡本山村に伯父佐野一彦(神戸高等商業学校教授)と住んでいた。同年11月母子は伯父と共に御影町郡家兼安に移転。翌10年3月昌彦が卒業して東京より帰って来る。同年5月京都市左京区永観堂町に移る。『学生評論』(11年5月創刊)の5号(同年11月)から編集発行人となり、12年11月以降『世界文化』、『土曜日』、『学生評論』の関係者が検挙されるいわゆる「京都人民戦線事件」に巻き込まれることになる。
昌彦が『学生評論』復刻版月報No.2に書いた「『学評』とのかかわり」によると、
知人に書いて貰ったものには、第七号(三七年二月号)の長谷川鉱平「我が国に於けるヒューマニズムの窒息」と岡田播陽「大塩平八郎百年忌に寄す」などがある。長谷川氏は法政の先輩で、そのころT・E・ヒュームの『芸術とヒューマニズム』を訳出していた。この書は戦後のいまもよく読まれ、版を重ねているということだ。岡田氏は、子息の誠三氏の『自分人間』や『定年後』で、最近テレビにものり、一躍有名になった。誠三氏は四十年も前の『学評』にお父さんが書いていられることなどはまだご存じないらしいが、これはひとつ知らせてあげねばならないと思っている。
なるほど、やはり長谷川と草野は親しい間柄だったようだ。
なお、冒頭の葉書の文面中、「谷川先生」は谷川徹三法政大学教授、「戸坂氏」は法政大学講師の戸坂潤ということになる。戸坂は9年1月予科を辞職し、8月には文学部を免職になっているので、その間の葉書ということになる。
追記:「仁木君」は長谷川と同じ9年3月に法政大学法文学部哲学科を卒業した仁木徳と思われる(『法政大学校友名鑑』(昭和16年)による)。
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