神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

古本あるあるで解けた福田武雄『断食日記』の謎

たまたま買った古本によって別の古本の謎が解けることがたまにある。これもそんな「古本あるある」の一例。みやこめっせの三密堂書店出品の福田武雄『断食日記』は、昭和2年11月1日から7日まで仏国寺で断食を行った際の日記の影印版だが、奥付もなく、著者も何者か不明であった。
ところが、「丸万書店で『福田與先生回想録』(福田與先生回想録刊行会)を拾う」で言及した本によって多少謎が解けた。同回想録の川野正一「次男がお世話に」には、

昭和五十二年八月、当時鹿児島にいた例の私の息子が京阪へ出張の途次、先生のお宅にお寄りしましたら故御主人武雄様の「断食日記」「東海道・中仙道旅日記」の両著と、與先生の御編集の「明治大正小学唱歌」の三冊、それに、高血圧によいからと、酢大豆の見本三十粒ばかり(製法息子に口伝)をビニールの小袋に入れて持たせてくださいました。

とある。これで、福田武雄は福田與(あたえ)の夫と判明した。與の年譜によれば二人は昭和4年11月宮崎童安媒酌で結婚、武雄は昭和49年9月69歳で死去。武雄の経歴はよく分からないが、與とは京都市立崇仁小学校で出会い、夫婦で宮崎童安、高田集蔵、岡本大無、新井奥邃、森信三らを師とし、戦後は京都ライトハウスに勤めていたようだ。『断食日記』によると、断食中は『テオロギア・ゲルマニカ』を読み、山村暮鳥の『雲』からも引用していて、教養人であったようだ。