神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

下鴨納涼古本まつりは三密堂書店で『笹村草家人文集』上下を

三密堂書店の一冊二百円三冊五百円コーナーで発見。昭和55年2月発行、非売品。序は森信三と今井兼次。笹村草家人とは誰だっけなあとパラパラ見ると岡田虎二郎が出てきたので購入。下巻巻末の年譜によると、

明治41年 東京市芝区神明町に生まれる。
大正3年 両親とも岡田虎二郎の静坐に参じ、毎朝未明より日暮里の本行寺に伴われ、岡田の偉容に接す。
9年 杉浦重剛の日本中学に入学、特に猪狩史山の薫化を受けた。
昭和2年 東京美術学校彫刻科入学
10年 石井鶴三に師事す。
19年 東京美術学校助教授に任ぜられる。甲州棡原村山中に移りて永住す。
31年 碌山美術館の建設に当たる。
36年 東京芸術大学を辞す。
48年 中原悌二郎彫刻作品集を公刊す。静坐(岡田虎二郎[そ]の言葉と生涯)稿本を編む。
50年 9月26日没

年譜に出てくる私家版の『静坐 岡田虎二郎その言葉と生涯』は古書価が相当するようだ。覚えておこう。
岡田式静坐法に関しては、上巻に「静坐私感ーー笹村草家人編「静坐」あとがきーー」、「相馬黒光と静坐」、「笹村草家人編「静座」」の三篇が収録されている。そのうちの後者には、

岡茂雄さんという人が、阿南惟幾大将の副官をしていたころ一緒に静坐をしていた。最近阿南大将の伝を読んだが 落付いた終戦の時の切腹は、静坐の人でないと出来ないのではなかろうか、と思えた。本書の不備は承知だが無名会の要望により稿本として、出しておく。静坐文献の研究家としては森田繁治氏の右に出でる人を私は知らない。その精到な定本のでるまでの露払いになれば幸である。

とあった。岡茂雄は岡書院の岡だろうかと検索したら、「本屋風情岡茂雄と岡田式静坐法」がヒット。誰だと思ったら、なんとわしが書いてた(^_^;)ma-tango師匠からコメントもいただいてるよ。この辺りは、田原市博物館編『中原悌二郎と岡田虎二郎ーー自然の理法・悌二郎をめぐる作家達』(田原市博物館、平成19年)に詳しいようだが、何年か前に同博物館に行った時に訊いたら品切であった。