神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「ぐろりあ・そさえて」の若林つや

堀江朋子『白き薔薇よ 若林つやの生涯』によると、プロレタリア作家若林つやは、昭和14年6月「ぐろりあ・そさえて」に入社したという。その若林が、木山捷平の日記に出てくる。

昭和15年3月11日 「ぐろりあ・そさえて」行。山田君は父君の病気で帰省中。若林つやさんと茶をのむ。田中克己、肥下君と一緒となる。『昔野』(なつかし野)の校正は近々出る由。

  4月5日 「ぐろりあ・そさえて」行。午後三時起床。雨の中を約束だから出かける。小山、三浦、保田三氏と一緒、山田、若林とレインボーで夕食。社長の伊藤長蔵氏帰ってきて雑談、しばらくして新橋の待合に一同つれて行かれる。(略)しかし社長その他飲めぬので、小山と小生だけで飲むようでつまらぬ。

『昔野』は、「ぐろりあ・そさえて」からこの年の7月刊行。「山田」は編集長の山田新之輔、「保田」は顧問の保田与重郎。若林は、「ぐろりあ・そさえて」の後は、財団法人民族学協会に勤務、面白い経歴である。
なお、伝記の著者堀江氏は上野壮夫・多喜子の次女である。

(参考)・「「ぐろりあ・そさえて」社員山田新之輔と竹内好」(2010年4月14日
    ・「ぐろりあ・そさえての伊藤長蔵一族」(1月28日
    ・「青年図書館員聯盟会員ぐろりあ・そさえての伊藤孝次」(2月12日
高橋輝次『関西古本探検』の「「ぐろりあ・そさえて」の編集者たち」