神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

ぐろりあ・そさえての伊藤長蔵一族

ぐろりあ・そさえての創立者伊藤長蔵の一族について、多少判明した。兄の伊藤長次郎は、貴族院議員(多額納税者議員)なので人名事典に出ている。『昭和人名辞典』で復刻された『第十四版大衆人事録 東京篇』(昭和17年10月)などによると、

伊藤長次郎 
[閲歴]兵庫県先代長次郎長男明治6年4月生
26年日本法律学校
28年9月家督相続し、熊蔵を改め襲名
37年9月〜44年9月 貴族院議員
日出紡績(株)社長、三十八銀行(株)頭取、静得社(資)代表、伊藤土地(資)無限社員などを歴任
妻:ゑい(明治7年3月生)香川県士族大西行礼妹
長男:熊三(明30年7月生)京都帝大法科卒、伊藤土地常務。妻総子(明治34年生)男爵阪谷芳郎五女、長男乾一(大正15年生)、長女茂子(昭和4年生)
次男:勇次郎(明治35年7月生) 勧業銀行勤
三男:健蔵(明治41年12月生) 昭和9年明大卒、大同海運勤
長女:静(明治32年10月生)子爵大岡忠綱妻
姉:とき(元治元年2月生)兵庫県伊藤英一
弟:長蔵(明20年10月生)、正五郎(明21生)は分家
昭和34年6月12日没

長次郎は「ぐろりあ・そさえて」から伊藤長次郎編『真俗二諦観集』(昭和2年)を出している。また、長次郎の長男熊三(長蔵の甥)も同社から『感興処々』(昭和2年7月)を刊行している*1

ところで、『満川亀太郎日記』には、

大正10年4月7日 坂口昴、本田義英、能勢丑三、伊藤長蔵へ著書を郵送す。

とあり、同書巻末の「主要登場人物録」には、伊藤について、「(1888(ママ)−1950)神戸の「ぐろうりや書店」店主。満川の中学同級」とある。満川は、年譜によると、明治37年10月京都の私立吉田中学校第三学年に編入、38年11月に清和中学校(立命館中学・高等学校の前身)第五学年に転学、40年3月卒業。長蔵は、京都の中学で満川と同級だったということになってしまうが、これは疑問である。長蔵が出資し、満川が編集した大西新治の遺稿集『北人遺稿』(北人遺稿発行所、大正10年1月)によると、長蔵は大西と滝野中学校で同級であったという*2。もっとも、長蔵が滝野中学校と京都の中学校の両方に在籍したという可能性もゼロではないが。なお、この遺稿集には、口絵写真として「滝野中学校以来の親友伊藤長蔵君」が載っている*3

*1:高橋輝次「ぐろりあ・そさえて寸描−−神戸出身の出版人、伊藤長蔵のおもかげ」『古本が古本を呼ぶ』による。

*2:大西は、明治34年4月入学、39年3月卒業。

*3:近代デジタルライブラリーで見られる。