『雑誌新聞発行部数事典ーー昭和戦前期 附.発禁本部数総覧』(金沢文圃閣)を読破。ていうか、書名だけ斜め読み。そしたら発禁になったオモロイ本を色々発見。『昭和書籍雑誌新聞発禁年表』の書名も同様に全部見たはずだが当時と今とでは関心領域が異なるので、今回新たな本を見つけたのであった。まずは、『静坐の生活』2年21号、1941年8月5日発行を紹介。同月2日付けで安寧秩序紊乱により発禁。静坐の雑誌で何がひっかかったのかと『出版警察報』139号を見てみると、同誌は広島市の静坐団本部の酒井善夫が発行。発禁の理由は、
「大日本は神国なり」(署名ナシ)ト題スル記事ハ、我国肇国ノ由来ハ基督ノ聖書ニ存スルモノナリト主張シ我国体ノ尊厳ヲ冒涜スルニ因リ禁止。
なんかトンデモの匂いがするぞ。『出版警察報』の凄いところは、問題にされた文章を引用していることで、それから要約すると、
・我が神代記に掲載されているものがどこから出ているかは聖書によるべきである。なぜなら、聖書はそれ以前のものであるから。
・ノアの一族が方舟によって洪水から救われた時に彼らが宿った所が、今のアーメニヤの地、その後そこをハラ又はハランとも言った。高天ヶ原はここに由来する。
・民数紀略26章に「ガトの子孫は其宗族によれば左の如し、セボンの族よりセボン人の族出で云々」(英人はゼボンと言うが、猶太人はニッポンと言う)とある。太祖ヤコブの世嗣であるマナセ族と共に東漸して天孫民族となったのではないかとの考証は、研究するほど明瞭になってくる。
やはり日猶同祖論でしたか。静坐の雑誌にトンデモないことを書いてはいかんなあ。『出版警察報』140号によると、本誌は発行部数100部で、うち2部だけ差し押さえられている。ということは、98部が流通したことになるがどこにも残っていないようだ。