「柴田宵曲翁日録抄」によると、
昭和22年7月22日 四時頃福山氏来、雑談。原稿紙と写すべき材料とを渡す。
10月1日 (蛇魂氏と)共に市政会館に赴き地下のロマンス社に福山氏を訪ひしも不在要領を得ず。
10月2日 午後ロマンス社に再び福山氏を訪ふ。在り、筆写は未著手のよし、今回はわれのみにて進行の事とす。
11月27日 午後ロマンス社に福山氏を訪ひ寒川先生の手紙を渡し改造社*1行のことを頼む。
23年10月26日 (略)ロマンス社に福山氏を訪ふ。もとの民友社なり。不在。
25年8月25日 午後ロマンス社に寄りしに福山氏はやめてモダンロマンス社に在りといふ。
27年10月22日 三時頃出でて婦人世界社に福山氏を訪ふ。ロマンス社の旧蹟にてわが屡々おとづれししところなり。多忙の体なれば用事のみ話して辞去。
「福山氏」は、塩澤実信「「ロマンス」雑誌王国の夢」『活字の奔流[焼跡雑誌篇]』によると、福山秀賢*2である。同論考によると、ロマンス社の本社が民友社跡に移転したのは昭和24年とされ、このことは同論考が『戦後出版史 昭和の雑誌・作家・編集者』に「ロマンス社と婦人世界社時代」として再録されても変更はされていない。しかし、柴田の日記によると、23年には移転していたと見るべきか、それとも社の一部がまず移転していたと見るべきか。
(参考)「大陸講談社の『ますらを』と満洲雑誌社の『満洲良男』」(2010年3月27日)
- 作者: 塩澤実信,小田光雄
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追記:寒川編の『子規選集』第一巻(改造社、昭和22年11月)の「前言」に、
宵曲君の子規選集は、私の精髄と全く一致した意見からの発案であつた。私は寧ろ選集の通り易き名をよしとして、それに同意したのは此の春三月であつた。次いで福山君も加はり、選択輯録に月日を重ね、稿成つて七月朔改造社を訪ひ選集の事を依頼すると、子規庵保存の為ならばとて、快く出版を諾せられた。
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塩野七生氏の『ローマ人の物語』は読んでいないが、オスマン帝国との戦争関係の本は一時期愛読していたオタどん。塩野氏の父親がこういう人とは知らなんだよ→「雀隠れ日記」の「隧道」(http://d.hatena.ne.jp/yukunoki-a/20110717/p1)