神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

慶應義塾図書館の国分剛二と森銑三

慶應義塾図書館の国分剛二については、「慶應義塾の“図書館内乱”」(2007年2月22日)と「慶應義塾図書館の国分剛二と三田村鳶魚」(2007年3月24日)で言及したところである。森清の「日本十進分類法」に対する批判を執拗に繰返し、図書館界にも名を知られていたという国分。森銑三の「読書日記」にも出てくる。

昭和10年5月11日 午後慶応図書館の国分剛二氏始(ママ)めて来訪、慶玉に関する新資料を貸与せらる。

また、森の「思ひ出すことども」によると、国分は三古会のメンバーでもあった。

三古会の毎月の例会には、二十人内外の人々が集まつたが、その会員の中に、慶応義塾図書館の国分剛二さんもあつて、国分さんを通じて、慶応義塾へも本を見せて貰ひに出かけるやうになつた。(略)
国分さんもまた親切な人で、林さんと同じやうに、私の喜びさうな書物は、進んで示された。

「林さん」は、無窮会司書の林正章。三古会は、昭和9年9月に渡辺刀水の発起で始まった史伝の研究家を中心とする会合で、月に一度、無窮会の二階に集まった。「三古会」の名称は、久保田米斎の発案で、「稽古、尚古、考古」を意味するという。森の「三古会小記」によると、国分が初めて出席したのは、昭和10年8月3日。「読書日記」によると、森は三古会で会う前から、国分を知っていたことになる。

(参考)『簡約日本図書館先賢事典』によると、

国分剛二 こくぶごうじ 1892−1958
本籍又は生地:山形、最終学歴:正則英語中退、職歴:1919/慶応大学図書館