神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正6・7年の久米正雄と燕楽軒の時代

小谷野敦編「久米正雄略年譜」などから大正6・7年の久米正雄の交友関係と燕楽軒を年譜にしてみた。

大正6年 3月 「嫌疑」で『中央公論』デビュー

    4月 本郷五丁目二十一番地荒井しげ方へ転居

    9月 三土会で広津和郎と初対面。他に谷崎精二芥川龍之介、江口渙、赤木桁平、松岡譲、山本有三佐藤春夫加能作次郎らが出席

  6年9月9日 第4回二科展招待日に海老名文雄、関根正二東郷青児安井曾太郎、有島生馬らが出席(関根の日記)

   10月 久米が上野山清貢に芥川への紹介状を書く(同月30日付芥川の塚本文宛書簡)。広津が「神経病時代」で『中央公論』デビュー*1

   12月8日 神楽坂「末よし」の漱石一周忌の会に出席。芥川、鈴木三重吉森田草平小宮豊隆、野上豊一郎、津田青楓、安倍能成岩波茂雄、赤木、松岡、内田百間、瀧田樗陰らが出席

    この年の後半に『帝国文学』の編集事務所だった後藤末雄宅で上野山と初対面(上野山「男らしい立派な風貌(久米正雄氏の印象)」『新潮』大正7年9月号)

  7年1月 上野山を通して関根正二を知る(時事新報大正7年6月11日)*2。29日上野山の妻素木しづ没   

   2月2日 芥川が文と結婚。自笑軒の披露宴に菊池、江口、赤木と出席

   3月19日 菊池が勤める時事新報で「螢草」の連載を始める。挿絵は伊東深水

   4月 母を呼び寄せ、本郷五丁目四十三番地に家を持つ

   5月12日 本郷三丁目燕楽軒開業披露広告(東京朝日新聞

   5月29日・30日 有楽座で久米演出「地蔵教由来」の群集に関根、上野山、今東光佐佐木茂索が出て、東郷がアコーデオンを弾く。生田長江の「円光」に使う絵を関根が一晩で描いた。この時、今は関根又は久米から生田を紹介された(5月17日参照)

   6月 徳田秋聲と岩野泡鳴が幹事となり、燕楽軒で龍土会を開く。古いメンバーは来なかったが、白鳥正宗、前田晁、長田秀雄、有島兄弟、江口らが出席(『徳田秋聲全集』の年譜*3

   7月 菊池寛が「無名作家の日記」で『中央公論』デビュー

   7月15日 麻布狸穴の満鉄社宅での外相後藤新平による文士招待会に出席。芥川、泉鏡花、里見とん、田中純和辻哲郎らが出席

   8月 若手劇評家・劇作家の来者会会員となり里見と親しくなる

   9月 二科会へ「山の湖」を搬入するが落選。林倭衛は二科賞受賞

   10月7日 谷崎の支那旅行送別会が鴻の巣であり、芥川、江口、赤木、田中、吉井勇、里見らと出席

   この年、宇野千代が働く燕楽軒の前にあった中央公論社から、瀧田が芥川、久米、菊池、佐藤春夫を同店に連れて来る。今や東郷も出入りした(宇野「私の文学的回想記」。ただし、宇野の年譜では大正6年

   この年か、今が二十歳の頃、本郷三丁目のカフェー巴里で神戸出身の慶応仏文科の知人に東郷を紹介される(今『東光金蘭帖』)

これだけを見ると久米が楽しく暮らしていたように思う人もいるかもしれないが、「一挿話」『新潮』大正6年11月号発表以後の、夏目家への出入り禁止、7年4月の松岡と夏目筆子の結婚という「破船」事件で、久米がどん底にあった時期でもある。なお、上記には入らないが、本多浩『室生犀星伝』によると、大正8年6月10日犀星の「『愛の詩集』の会」が燕楽軒で開催され、加能、北原白秋萩原朔太郎、日夏耿之助、林、福士幸次郎秋庭俊彦、吉田三郎、多田不二、川路柳虹佐藤惣之助、白鳥省吾、恩地孝四郎、百田宗治、加藤一夫、富田砕花らが出席、閉会後外へ出ようとするところへ芥川が現れたという。

追記:本郷四丁目の燕楽軒と書く大正期の新聞記事は他にもある。まさか、四丁目にもあった?

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東京堂書店のホームページによると、

小谷野敦さん×中川右介さんトークイベント開催!
演題:「『猿之助三代』と『團十郎十二代』の著者が歌舞伎を語る」

猿之助三代 (幻冬舎新書)

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悲劇の名門 團十郎十二代 (文春新書)

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開催日時 6月19日(日)15:00〜17:00(開場14:45)
開催場所 東京堂書店神田神保町店6階
参加方法 参加費500円(要予約)
電話または、メール(tokyodosyoten@nifty.com)にて、件名「小谷野さん中川さんイベント希望」・お名前・電話番号・参加人数、をお知らせ下さい。イベント当日と前日は、お電話にてお問合せください。電話 03−3291−5181

*1:厳密に言うと、その前に随筆「都会生活者の採り容れ得べき自然生活味」を7月号に書いている。

*2:小谷野氏は略年譜で2月頃としているが、1月の方が適切と思われる。

*3:秋聲「一日一信」大正7年6月22日付『読売新聞』に本郷四(ママ)丁目の燕楽軒について「この会場は選択に苦心したゞけに可也快適なものでした」とある。