神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

久米正雄が洋行送別会で述べた答礼

菊池寛が『文藝春秋昭和4年10月号の編輯後記*1

▽久米は、十一月の末に帰つて来るらしい。丁度一年振である。久米の送別会のときの答辞を、広津君は変な風に解釈してゐるが、しかし久米の気持はあんな風なものではないと思つてゐる。これは、久米が帰つてくれば分る。 

と書いている。これは、久米正雄の洋行送別会が昭和3年11月6日に東京会館で開催された際のことだが、この久米の答礼はどんなものだったのだろうかと思っていたら、小谷野敦久米正雄伝』に375頁に書いてあった。広津の「わが心を語る」『改造』昭和4年6月号がそれで、久米は、

「(前略)今私が外国に行かうといふのは、皆さんの云はれるやうに、そこに希望を抱いてといつたやうなものではないのであります。何と云つたらいいか、云つてみれば、尻尾を巻いて逃げる、といつた心持なのです。あらゆる意味で、私といふものが、一つの行きづまりに来てゐるためなのです・・・」


という意味の言葉を述べたという。もっとも、同書376頁によると、巌谷大四が『瓦版昭和文壇史』に記した答礼の言葉はちょっと違い、夫婦生活の倦怠から逃れるため、というようなことだったという。

*1:菊池寛全集』第二十四巻