箱木一郎の名前は、有島武郎全集においても、見ることができる。
第15巻所収の「[住所録手帖]」には、
箱木一郎 神戸市荒田町二丁目267
五月三日 (午後七時)
\五時迠ニ神戸ニ着クヿ
(三ノ宮)
Y.M.C.A Hall
同手帖には、沖野岩三郎の名もあり、住所は「麹町区富士見町6の7」と「小石川区宮下町五八」である。また、賀川豊彦は「神戸市葺合北本町六丁目220」と出ている。全集第14巻には、箱木宛書簡が大正11年4月11日付と同年5月15日付の二通収録されていて、有島が同年に計画していた朝鮮・中国への旅行に関して、箱木から途中神戸に寄り講演をすることを依頼されていたことがうかがえる。手帖の「五月三日」云々はその関係だろう。なお、書簡における箱木の住所は、「神戸市下山手青年会講演部」と、「神戸市荒田町二丁目二六七」である。
(参考)3月31日