神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

高橋徳太郎の国会図書館調査及び立法考査局時代

 誰ぞが昔いたのかいなかったのか知らないが、永田山の大きすぎる図書館の創立期から職員となり、法令議会資料課長、総務部長などを歴任し、ナンバー2にまでなった高橋徳三郎(1923−1997)という人がいる。日本図書館協会理事長も務めた人なので、館界では多分著名な人なのだろう。この人が調査及び立法考査局の職員だった時の出来事が太田耕造の日記に出てくる。

昭和38年8月13日 次で無窮会、林正章君が国会図書館調査立法考査局、高橋徳太郎君帯同来訪。平沼先生文書写字方、恭四郎君より拒否されたるに対し、実現方依頼の為也。無窮会に委託されたる分也。恭四郎君に対し便法を示唆し、帰したり。

 「平沼先生」は平沼騏一郎(昭和27年没)と思われる。太田は、平沼内閣で書記官長(昭和14年4月〜8月)を務めている。また、「恭四郎」は平沼の養子で無窮会理事長。無窮会が管理していた平沼文書は後に国会図書館憲政資料室に売却されるが、上記の出来事の経緯は不明である。誰ぞが調べてくれるかもしれない。
 なお、徳太郎の父高橋円三郎は衆議院議員で、ウィキペディアにも立項されている人物であるが、大正9年早大政治経済学科卒。茂木久平が「高見剛平」として出てくる尾崎士郎『人生劇場』の「夏村大蔵」のモデルとも言われる。ということで、またまたオタどん山脈に連なってくるなあ。

(参考)尾崎士郎『人生劇場 愛慾篇』

高見剛平が引致されたのは、その四日ほど前だった。独立運動の陰謀事件が発覚して捕えられた朝鮮人黎春朴(数年前、高見が入露するときの手引き役をつとめたのもこの男である)の予審廷における供述が高見に対する検事局の疑惑を深めたことがその原因であるという。丘部小次郎が高見を政府にうりわたしたのではない。夏村大蔵にもその消息のわからぬ筈はなかったが、丘部と高見とが性能の上にどこかぴったりと結びついてゆくものをもっていたにもかかわらず、夏村と彼とはまるでウマが合わなかった。