神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

江戸川乱歩夫人、平井隆の経歴

賀川豊彦の妻、賀川ハルの日記*1江戸川乱歩夫人が出てくる。

昭和39年6月22日 帰途今井よね姉訪問。同家にて江戸川乱歩氏夫人に紹介さる。米国イエスの友会の招きを引き受けることを述ぶ。

乱歩は、翌40年7月28日に亡くなっている。夫人の平井隆(りう)の経歴を戦前の『人事興信録』、平井隆太郎『うつし世の乱歩 父・江戸川乱歩の憶い出』などからまとめておくと、

平井隆 ひらい・りう 旧姓:村山
明治30年6月生。三重県志摩郡坂手村出身。村山恒吉の妹。
大正6年3月 三重県女子師範学校本科第一部(四年制)卒。
坂手島の小学校の先生をしているときに、鳥羽造船所に勤務する平井太郎(のちの江戸川乱歩)と知り合う。
大正8年11月26日 平井と結婚。大和絵画家の岩田豊麿夫妻の媒酌で、式は岩田家で挙げた。貧乏のドン底だったので、新婚旅行には行けなかった。
  10年2月15日 長男隆太郎誕生
昭和7年11月 『探偵クラブ』6号に「二様の性格」を執筆
  29年11月 『別冊宝石』42号に「夫を語る」を執筆
  44年9月 『江戸川乱歩全集』第六巻月報六に「夫の魔力」を執筆
  57年9月2日 脳血栓のため、西池袋5の15の17の自宅で死去。喪主は隆太郎。

*1:『賀川ハル史料集第3巻』