神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

山王書房の関口良雄と八木福次郎が泣いた夜

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』で書籍コード213は柴田宵曲『煉瓦塔』500部限定版(日本古書通信社、昭和41年9月)。
この本について、柴田宵曲の日記(『日本古書通信』平成3年12月号)を見ると、

昭和41年7月9日 八木君より電話あり、校正出でしよし、二時半頃より出でて行く。柳生氏に逢ふ。病院以来なり。「紙人形」「煉瓦塔」の製本見本を見る。 

    7月10日 午後「紙人形」の校正を見る。

    8月2日 午後八木君来。校正持参。少しく校正を見る。夜すゞし。

柴田は、8月3日最後の入院をすることとなり、2日が日記への最後の記入となった。この後の状況については、同誌に八木福次郎氏の日記が掲載されている。

昭和41年8月13日 柴田家へ行き、検印紙にて印を捺し、「紙人形」の署名と、ついに署名して貰えなかつた「煉瓦塔」の署名紙を頂いて帰る。病状など聞く。
(「紙人形」「煉瓦塔」には著者署名入りと広告してしまつたので「煉瓦塔」には、この二冊の自筆原稿一篇づつを付すことにした。)

  8月20日 「紙人形」の見本出来る。「佐渡が島」解説、柳生さんに見て頂いて校了。そのあとやつてきた山王書房関口君と三人で如水会館でビール。柴田さんが危ない、という話から柴田さんの話題が続く。柳生さんと別れたあと関口君と神田、新橋、大森とハシゴ、関口君と飲みながら泣く。二人肩をだきあい、泣きながら夜の街を歩く。
関口君「なぜ柴田さんのようないい人が死ななければならないんだ」と歩きながらわめく。帰宅三時。

柴田は8月23日逝去。日本古書通信社から刊行された『紙人形』(昭和41年9月1日)、『煉瓦塔』(同月10日)、柴田解説の『佐渡が島 長塚節自筆草稿』(同月14日)の三冊は、柴田の生前には間に合わなかった。『紙人形』の見本が、棺に納められたという。

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