「新聞紙通信社一覧表 明治四十年十一月調査 警視廳」*1を見ると、国民新聞の記者として、結城禮一郎と篠原英喜の名前があるが、松下長平の名はない。松下が創立に尽力したという『桑港新聞』は明治39年創刊だが、その後40年の段階では、まだアメリカに滞在していたか。
篠原については、『明治新聞雑誌関係者略伝』によると、
篠原英喜 しのはらひでのぶ 明治五年生、大正十五年九月二日歿。五五歳。(一八七二〜一九二六)熊本県宇土の人。号は温亭。明治二五年『国民新聞』に入り、爾来三〇年間同社に勤続。
この篠原英喜=篠原温亭が、北原白秋の姦通事件に際し、北原家の依頼を受け、事件の調整を行った国民新聞の俳壇の選者である。川西政明『文士と姦通』(集英社新書)では、松下は『中央新聞』の写真家、篠原は同紙の俳壇の選者と誤記されている*2。編集者のチェックもなかなかそこまでは及ばないようである。
(参考)篠原温亭『昔の宿』(七丈書院、昭和19年7月)は、今月7日にも書いたが、柴田宵曲の編集である。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
『新・日本文壇史』136頁「坂本蓑山」(誤)→「坂本箕山」(正)
坪内祐三氏が、同シリーズの内容説明文に噛み付いていた(「坪内祐三の読書日記」『本の雑誌』3月号)。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
けふから羽鳥書店まつりだが、雨かすら。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
今日の読売「編集手帳」。どこかで読んだようなと思っていたら、昨年9月8日にわしも書いてた。わしのを読んでいたわけではなかろうが、「神保町系オタオタ日記」からの孫引きだが、と書いてくれたら、大笑いしていただろう。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
平川祐弘『日本語は生きのびるか 米中日の文化史的三角関係』(河出ブックス)が出てた。