神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

広瀬正の「後家探し」

先日の朝日の「売れてる本」は、瀧井朝世氏による広瀬正『マイナス・ゼロ』の紹介だった。全集の復刻後、担当編集者の瀧川修氏が、墓前に報告に行こうとしたが、墓が見つからなかったという。広瀬の来歴には不明な点が多いともあった。柳田泉ではないが、「後家探し」をしてもらわねば。広瀬の担当編集者だった河出書房新社龍円正憲*1によれば、未亡人は富美子といったという*2。亡くなる前年には「巳和子夫人(四四)との二人暮し」と記述した文献*3もあるが、再婚したのであろうか。生前の住所は、茅ヶ崎市中海岸2の4の8とわかっているが、未亡人はとっくに亡くなっているだろうか。未亡人のルートがだめでも、生前親しかったSF関係者で墓の所在を知っている人を探すという手段もあるか。

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小路幸也「会うは同居の始めかな」(前編)『青春と読書』5月号に、神保町の<我藍堂>(がらんどう)という喫茶店が出てきた。どこかで聞いたような名前だ。

*1:のち、昭和61年集英社入社。『小説すばる』編集長などを歴任。

*2:広瀬正の“ライズ・アンド・フォール”」『噂』1972年6月号。

*3:「ジャズとカー・モデルとSFと」『週刊朝日』昭和46年6月25日号。