水島幸子といっても、一部のSFファンしか知らないだろうが、今日泊亜蘭の母で、水島爾保布の妻である。『古書の森 逍遙』の書籍コード116『婦人世界』(実業之日本社、明治43年12月)の「新聞雑誌婦人記者花くらべ」で、水島は白百合にたとえられているという。黒岩さんは、水島を「フリーライター?」としているが、婦人世界の記者だったようだ。渋沢青花『大正の『日本少年』と『少女の友』−編集の思い出』(千人社、昭和56年10月)に、大正元年10月頃、渋沢が島村抱月の紹介で実業之日本社に入った時の話として、
社長の左手、北側の壁を背にした一角は『婦人世界』の編集部だった。ここで目につくのは、堂々たる体格の持主、主筆の高信峡水氏である。(略)
『婦人世界』の編集陣は、ほかに原掬水君と婦人記者が二人。一人は当時売れっ子の漫画家水島爾保布氏の夫人で、一人は何新聞社だったか忘れたが、新聞記者*1の夫人で坂水とわさん*2という人だった。二人ともなかなかの美人だった。(略)二人とも社員ではなく、嘱託ということで、一日の大部分は訪問に出歩いて、午後ちょっと顔を見せるだけだった。
水島は、『婦人世界』には、」4巻12号(明治42年10月15日)の「主婦として働きながら婦人記者を勤むる私の日常生活」、6巻1号(44年1月1日)〜同巻8号(同年7月1日)の「令嬢訪問」などを執筆している。また、黒岩さんは、書籍コード138で赤堀峰吉・赤堀菊子『嫁入文庫第四編 料理の巻』(実業之日本社、大正6年4月初版、12年12月36版)を紹介しているが、大正6年7月24日付東京朝日新聞に同文庫第七編化粧の巻の広告が、古宇田傚太郎・水島幸子の共著としてあがっている。多分、同一人物だろう。
(参考)『婦人世界』の前は、『婦人画報』の記者だったようだ。2008年1月17日参照。私の愛読した『水島爾保布著作書誌・探索日誌』(杉並けやき出版、1999年6月)の編著者かわじ・もとたか氏は、「「北方人」日記」さんの友人のようだ。