神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

増田正雄と宮内省怪文書事件


増田正雄は、ただの反ユダヤ主義者かと思っていたが、中山太郎*1衛藤利夫*2との関係、広田弘毅の私設顧問*3だったらしいことが判明してきた。更に、松本健一『評伝北一輝4』によれば、宮内省怪文書事件にも顔を出しているようだ。西田税が『牧野内大臣、関屋宮内次官、東久世内匠頭等の大逆不敬事件』なる小冊子を大正15年5月にばらまいたことから始まった事件である。松本氏は、最初にこの小冊子を問題としたは、増田正雄と赤池濃の二入のロシア通だったようであるとしている。増田が「何とかせなければなるまい」と三千円を用意して、赤池に渡し、赤池は沼波武夫を通じて、北に渡そうとしたが、北は四谷の待合に逃げ込んで金を受け取ろうとしなかったという。松本氏は書いていないが、増田が関係しているのは増田が日露実業の役員(推定)*4だった関係であろう。前記の小冊子には、日露実業会社の副社長田辺熊一を誘惑して同社から引き出させた八十万円の金が、元老松方正義宮内大臣牧野伸顕市来乙彦その他宮内省の巨頭連に贈賄されたことが糾弾されている。また、ここに名前の出てくる市来は大正8年4月から11年6月まで同社の社長だった*5人物でもある。


(参考)真崎甚三郎の日記昭和20年7月8日の条にも増田が出てくるので記録しておく。

増田正雄十三時半ニ来訪、予ハ玄関ニテ断ル。

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なにやら「キントウン」に乗って台風男(?)が近づいてくる悪寒。

*1:昨年4月5日

*2:昨年9月14日3月13日

*3:7月30日

*4:昨年4月11日同月15日。『大日本実業家名鑑 下巻』(実業之日本社大正8年7月)ではなぜか「日露実業株式会社」とあるだけで、肩書きが記載されていないが、役員だったのだろう。

*5:北一輝著作集第三巻』所収の東京地裁検事局「市来乙彦聴取書」(大正15年8月17日)による。