原武史氏は、「一九三五(昭和十)年十月に陸軍の真崎甚三郎や畑俊六らとともに、天津教の神宝を拝観した秦真六」と書いているが、畑の名前を挙げている根拠が不明である。天津教第二代教祖竹内義宮の『デハ話ソウ』には、昭和10年10月の「主なる神宮拝観者と参拝者」として、安江仙弘、真崎甚三郎、秦真次、畑俊六、田多井四郎治の名前が見えるが、同行したかどうかは不明である。そこで、真崎の日記を見てみる*1と、
昭和10年10月5日 七時三十分上野発磯原に向ふ。一行は秦中将、安江中佐、田多井四郎治及予の副官の四人なり。予は疲労しあり[し]為発車と同時に仮眠し、夢の間に十一時四分に磯原に着す。
10月6日 拝観所に待つこと少時にして当主武(ママ)内巨麿氏現はれ来る。(略)キリスト、モーゼ等の御神体、其他皇祖皇大[ママ]神宮の鏡(略)拝観す。
当時、真崎は軍事参議官、畑は第十四師団長。畑は、真崎の「副官」に当たらないので、同行していないことになる。もっとも、原氏の文章は、必ずしも同行者ではなく、単に10年10月中の拝観者の名前を挙げただけと読めなくもない。こんな瑣末なことよりも、もっと本質的なことを批評せねばいかんと精査中。
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『新潮』9月号に黒岩さんによる辻原登『許されざる者(上・下)』への書評あり。
『図書』8月号の田中貴子「浄土の猫は蓮に揉まるゝ 佐竹昭広氏の学問と私」・・・「ちなみに、佐竹氏と私に唯一共通するのは、猫好き、という点である」そうだ。
『フェミニズム文学批評』は、9月29日刊行予定となっている。
*1:原文の片仮名は平仮名に改めた。