神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

宮武外骨の妻を寝取った松井史亨


先日のNHKで「東京帝国大学」の背嚢をしょって資料収集する宮武外骨が印象的であった。
さて、吉野作造の日記によると、

昭和3年11月19日 朝学校に行く 其前に外骨翁を訪ねる 同翁の妻君自殺したと云ふ通知に接したるを以て也 翁の言ふ所に依るに翁の下に使つて居つた松井史享[ママ]文学士が妻君と通じその現場を見付け直に離婚を申渡し逐ひ出したるに翌日朝来りて詫せしも頑として許さず 乃ち御勝手にて猫いらず三十銭量を飲み直に上野の浜野病院に送りて手当を加へたるも効なく此日朝四時絶命せし也といふ 之に付ていろいろ変な事をやりさうなので親切に忠告を試む


この松井史亨だが、木本至『評傳宮武外骨』によると、もともとは大正15年2月小野秀雄講師の紹介で明治初期の新聞小説を扱った卒論を書きたいと訪ねてきた東京帝大文学部国文科の学生で、明治36年3月生まれ。昭和2年に「新聞小説の研究」を卒論として卒業した後、松井の希望で明治新聞雑誌文庫の事務員に雇われていたという。


当時外骨は62歳、妻マチは34歳。吉野がどんな忠告をしたのか不明だが、外骨は同月24日に水野和子(まさこ。39歳)と再婚。再婚禁止期間があるわけではないから、すぐに再婚してもいいわけだが、普通の人なら不貞な妻でも自殺されたらショックを受けて、結婚なんて考えられないと思うが、そこはやはり外骨先生。しかし、吉野は祝福する気分にはなれなかったのか、湯島天神魚十楼で披露宴が開かれた日の日記には次のようにある。

昭和3年12月8日 此日外骨君の宴会ある筈 予思ふ仔細ありて欠席す


この松井だが、腐っても東大、本来なら相当の人物になっているはずだが、今のところ『明治大正史第五巻(国勢篇)』(実業之出版社、昭和4年)に「明治大正新聞雑誌発達の概況」を執筆していることしか確認できない。