神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

志賀直哉が見たシャルロット・ペリアン女史

シャルロット・ペリアン女史により自伝が刊行されていることは、太田泰人「ル・コルビジュジエ、ペリアン、坂倉準三」(『ル・コルビジュジエと日本』鹿島出版会、1999年3月)で言及されており、邦訳が期待されていたところである。この自伝が今般みすず書房から刊行され、黒岩さんにより早速紹介された。


ペリアン女史は、坂倉準三の推薦で商工省の招きにより昭和15年来日、柳宗悦の長男柳宗理と共に日本各地を視察、デザインの指導を行っている。柳宗悦とペリアンの名前を志賀直哉の日記*1で見ることができるので、紹介しておこう。

昭和16年3月30日 午后柳訪問 ペリアン、シカアルゐる 民芸館を見て柳と梅原を訪ねる 後藤ゐる、古径と岡本来る 十一時すぎかへる、


「柳」は柳宗悦、「梅原」は梅原竜三郎、「後藤」は出版社「座右宝刊行会」社主の後藤真太郎、「古径」は小林古径、「岡本」は不詳。同月28日の志賀の立ち寄り先である「ペリアン家具展」への注として、「ペリアン フランスの工芸家シャルロット・ペリアン(1903-99)。ここでは、三月二十八日から四月六日まで、日本橋高島屋で開催された「ペリアン女史日本創作品展覧会−室内装備・家具・工芸品−」*2を指す。ペリアンは、前年秋以来日本に滞在して、創作活動を行なっていた」とある。


ペリアンはクラブ・シュメールの一員だったのだが、自伝にはその話はまったく出てこないのは残念である。なお、志賀の日記で不詳とされてきた「シカアル」が、この自伝によりフランス大使館付き海軍駐在武官エティエンヌ・シカールと判明した。

                                                          • -


人気のおにゃのこ。→「http://www.youtube.com/watch?v=PNFHFa4_PoI


あちゅ〜いので、誰ぞと恵比寿でビールを飲んだ(つもり)。

                                                        • -


月刊言語』7月号に黒岩さんの「明治の辞典」を発見す。

*1:志賀直哉全集第15巻』

*2:一般的には「選択・伝統・創造」展と言われている。