神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

二・二六事件と藤澤親雄


中公新書の森』の「[思い出の中公新書]アンケート」で高橋正衛『二・二六事件』を選んでいる人が多かった。同書には、三木清の年譜を引用して、昭和11年2月26日、危難の身に及ぶのを恐れて、一時三重県に避難したことが書かれている。二・二六事件当時の情勢におびえたのは、知識人だけではなく、共産主義運動を弾圧した側の元内務省警保局長で貴族院議員の松本学もその一人であった。松本の日記によると、

昭和11年2月26日 午前七時頃未だ寝てゐるとき、警視庁の中里保安課長から電話がかゝつて電話口に出て呉れと云ふ。(略)とうゝゝ自分が警保局長時代からデマの様に伝へられておった計画が実現したなと思った。(略)文化聯盟に電話して見たところ水曜日で研究会の当日だから学者連中が集ってゐたと見えて、安藤君の意見でどうも自分も身辺が危険かも知れぬから文化聯盟には来ないで、藤沢氏の宅に皆集ることとしやうと云ふ。雪の中を藤沢君の五反田の宅に行く。(略)夜九時頃までおって家に帰る。戸外は雪がやんではおるが朝来の降雪随分深く積もっておる。


この「藤沢君」が、松本が昭和8年に創立した日本文化聯盟の一員だった藤澤親雄なのだ。