神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

シンクロした二つの論文


昨年3月、リシャール夫妻が登場する『秋田雨雀日記』を引用することによって、二つの論文がシンクロした。一つはもちろん、ハンドルネームをma-tangoという人の論文だが、もう一つは平井一弘「あるモダーン・ガールの昭和初期(3)−国際都市東京におけるケート一家(1)−」『大妻比較文化』9号である。


秋田の日記には、

大正6年6月30日 (前略)ポール・リシャールの一家が赤倉温泉へゆくので送別会をやる。ミセス・ケートも来ていた。パン・アジアイズムについてポール・リシャールは非常に熱情的に語った。


    7月2日 マダム・リシャール、ミセス・ケート、フラウ・リーノ、アレキサンダーと逢った。


とあるのだが、この「ミセス・ケート」という存在の正体が後者の論文で判明した。



「ミセス・ケート」は、エラ・ケートで、早稲田大学明治大学の英語の教師であり、夫のアイザックはユニバーサリスト教会の宣教師であった。二人の長男ポール・ケートは、平井満寿と結婚することとなるが、この満寿が、大正時代後半読売新聞の婦人記者で、昭和初期には小説や評論を新聞・雑誌に発表する新進の文士となり、その後杉野芳子のドレスメーカー女学院で学び、ドレス・メーカーになったという。

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本日の日経に、特別編集委員野瀬泰申氏の「「食道楽」(下)を読む」あり。