昭和14年4月、戸板康二は明治製菓の販売営業部門・株式会社明治商店に入社。菓子部宣伝係に配属された。当時の上司は、田辺茂一の義兄である内田誠。戸板は、ここでPR誌『スヰート』*1の編集に携わることとなる。戸板の『思い出す顔』所収の「「スヰート」と「三田文学」」によると、
清方さんの弟子筋の小村雪岱さんには、資生堂の宣伝部に居られたころから「スヰート」の題字をいただいたり、「春泥」の表紙、内田さん自身の何冊かの随筆集の装本などもしてもらっている。/(略)/資生堂の二階の雪岱遺作展の会場で撮った写真が残っているが、久保田万太郎、里見弓享という二人の文人のほかに、万太郎の愛した吉原の芸者のいく代さんがはいっている。
雪岱遺作展は昭和16年9月〜10月に資生堂画廊で開催されている。
(参考)『思い出す顔 戸板康二メモワール選』(講談社文芸文庫)所収の年譜
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チョコをもらえなかったわしやあの人(特に名を伏す)のために、黒岩さんがモート・ローゼンブラム『チョコレート 甘美な宝石の光と影』(小梨直訳、河出書房新社)なる本の書評をプレゼントしてくれた。でも、やはり本物のチョコを味わいたいズラ(笑)