神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

徳田秋聲と里見とん


徳田秋聲の年譜から里見とん伝に記載のないものを拾ってみると、


大正12年10月15日 第八回「新潮創作合評−凶災後の文藝事項六項」末吉楼 宇野浩二芥川龍之介菊池寛佐藤春夫近松秋江、里見、久保田万太郎久米正雄、水守亀之助、中村武羅夫(『新潮』11月号掲載)。


  13年1月16日 第九回「新潮合評会」小石川偕楽園 加能作次郎、菊池、田中純、久米、久保田、里見、水守(『新潮』2月号掲載)


    2月10日 第十回「新潮合評会」同上 佐藤、加能、千葉亀雄、田中、久保田、里見、中村(『新潮』3月号掲載)


  15年6月1日 座談会「演劇時局漫談」『演劇新潮』掲載。久米、菊池、長田秀雄、久保田、山本有三、里見、岡栄一郎、三宅周太郎


昭和2年12月7日 里見から、前日に大酔した失礼の段、「お許し下さいまし」と葉書が来る。


  8年9月 (略)「改造」の水島治男が、予定していた里見弓享の原稿が入らなかったので、急遽依頼してくる。大森の大金で執筆(「死に親しむ」)、政子が世話をする。


  10年5月4日 「文壇あれこれ座談会」浜町浜の家 久保田、里見、正宗白鳥、秋江、千葉、武者小路実篤、山本、佐々木茂索、斎藤竜太郎(『文藝春秋』6月号掲載)


昭和2年12月7日の条の件は、里見とん伝によると、5日に開催された『今年竹』(プラトン社)の出版記念会のことと思われる。
昭和8年9月の件は、結局里見は『改造』翌年1月号(「馬鹿」掲載)まで執筆していない。


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日経(本日最終面)がまた図書館ネタを。


銭もほす〜ぃが、チョコもほしいズラ(笑