黒岩比佐子『編集者国木田独歩の時代』によると、明治期にグラフ誌は26誌創刊されている*1。その一回当たりの発行部数について調べてみると、
・明治32年
風俗画報 3,509*2
(「保証金ヲ要スル定期刊行雑誌配布部数 明治三十二年中」『明治三十二年警視庁統計書』警視庁、明治33年12月*3)・明治39年
近事画報 3,500
風俗画報 10,000
写真画報 10,000
幼年画報 10,000
(「雑誌一覧表 明治三十九年九月調査 警視庁」)・明治40年
写真画報 19,300
幼年画報 26,200
風俗画報 10,000
帝国画報 500
(「雑誌一覧表 明治四十年十一月調査 警視庁」)・明治41年
婦人画報 4,000
園藝画報 9,000
(明治41年8月27・28日東京朝日新聞「出版界の趨勢(中)(下)」)
明治41年に『園藝画報』とあるが、同名の雑誌は大正2年創刊*4。明治期にも存在したとすれば新発見だが、『演藝画報』の誤植と見るべきか。
*1:その後、『日本画報』が発見されたことは、2008年6月14日参照。ただし、同画報は、明治37年6月6日〜39年10月21日に新聞『日本』の付録として、発行されたものである。
*2:1年間の数字として84,225とあるので、年間の発行回数24で割った。
*3:クレス出版より復刻。なお、浅岡邦雄「明治期博文館の主要雑誌発行部数」、国文学研究資料館編『明治の出版文化』臨川書店、2002年3月で、「同統計書の数値は警視庁が実際に調査したものではなく、各新聞社。雑誌社が申告した数字をそのまま掲載したものであり、また、実際に刊行されていながら申告しなかったためか、統計書に漏れている雑誌もあって、信憑性については留保の余地がある」とされている。