神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 大槻憲二と大東亜藝術院


東京メトロ副都心線開通。ということで、今夜の「出没アド街ック天国」は「西早稲田」特集。立石書店古書現世は登場するかすら(文省堂書店は確実に登場するみたい)。さて、それはともかく。


木下杢太郎の日記に、

昭和18年9月15日 四時木挽町七丁目三統治学盟内大東亜藝術院の招をうけてゆく。十一月に神話及び伝説に関する美術の展覧会をなすなりと。岩倉公爵が会長。この会大に眉唾ものと思ふ。美術関係者誰か知人来り居るならむともひしに、それと思ふものなし。統治学盟の木崎克といふ人青木大東亜大臣を友だちあつかいひに言ふ。藝術院は峰岸といふ人幹事なるらし。外に中野江漢。荒城季夫、大槻憲二。


この「大槻」だが、別人かとも思ったが、「岩倉公爵」が岩倉具栄公爵とすると、「大槻」は東京精神分析学研究所の主催者の大槻と見てよいだろう。具栄は昭和6年5月藤堂高紹伯爵の長女良子と結婚するが、同年藤堂家の紹介により精神分析研究家の大槻と知り合い、昭和16年12月にはアンドレ・モーロワ『詩人と予言者』を金子重隆、大槻と共訳している。同研究所の機関誌『精神分析』にも「フロイド教授の死を悼む」(昭和14年11月号)ほか数回寄稿している。


「統治学盟」とか「大東亜藝術院」は不詳。帝国藝術院と無関係なことは確実だが、『日本文化団体年鑑』にも出ていない。


木崎克は、明治35年1月生まれ、京大文学部選科卒後、京都日日新聞社、東亜協会、改造社に勤めている。戦後、「大日本青年党委員」を理由として公職追放。大槻は公職追放とはなっていないが、戦時中の言動はもう少し掘り起こす必要があろう。

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5月28日の日経新聞に出ていたが、陸羯南の新聞『日本』が日露戦争中から発行したタブロイド判のグラフ誌『日本画報』全42号が「ゆまに書房」から復刻。同画報は黒岩さんが挙げた明治期の「画報」の一覧にもない希少誌。

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7月30日から松屋銀座で「高橋留美子展」。憧れの「管理人さん」に再会できるかすら。