神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和5年染織図案界のニュータイプ街頭派が大地に立つ‼

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大阪古書会館の古本市では先頭集団の多くは矢野書房の棚を目指す。私も矢野書房を目指すが、ビニール袋に入った雑誌や紙物だけをチェックして、次に古本横丁の和本300円コーナーへ。多くの人は矢野の単行本をまず漁っている。私はそれを尻目に古本横丁の和本コーナーに紛れた和本ならざる洋本を狙いに行くのである。更には変わった蔵書印のある和本を買うこともある。さて、いつぞや拾った写真の『街頭派十回記念塔』(街頭派図書部*1昭和10年4月)もそんな1冊である。このような冊子が和本の山の中にひっそりと埋もれているのだ。
「街頭派」とは洋画家の集団だろうかと思ったが、京都における染織図案家の革新集団であった。昭和5年6月創立で、メンバーは、久富順、木村玉泉、諏訪庚子郎、梅原栄二路、山田恭三、吉田玉城。「街頭派小史」から要約すると、

昭和5年6月7日 街頭派創立 同人(久富、吉田、木村、山田)
同年10月2日 第1回発表展 於京都商工会議所
昭和6年6月11日 新同人梅原の歓迎会
昭和9年6月30日 新同人諏訪の歓迎会
昭和10年4月13日 第10回記念作品展 於公会堂

第2回から第9回までの発表展の時期・場所は省略した。どんな集団だったか、昭和5年10月付けの「宣言‼」から引用してみよう。

(略)
従来染織図案は単に一商品としての社会的存在の意義を認められるに止まりて、その藝術としての地位は極めて惨めなものとされてゐた。之吾等常に苦しみとして来た処である。然しながら吾人は、図案の大衆性と藝術の大衆性とは必然に相連関して、将来図案をしてより高度の藝術的意義を持たしめずにはおかぬであらうことを確信するものである。
今や我等は須らく従来の因習的形式的なる現在の染織図案の域を脱し図案をして純粋藝術の地位まで発展せしむべきである。かくて我等の図案は衣服の図案であり、室内装飾の図案であり、その他の物に就き、より一般的な性質を持つに至るであらう。かくて我等の図案は大衆とよりガツシリと結ばれて行くであらう。
(略)

染織図案界を革新しようとする息吹を感じさせる。具体的にどんな作品だったか、第1回発表展の作品の写真をあげておこう。
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メンバーの一部の経歴が判明しているので、これも紹介しておく。

・『昭和人名辞典』第3巻掲載分
木村玉泉 図案家 本名源次郎。明治34年生。下村玉廣に師事。安藤商店意匠部主任を経て昭和10年創業
・『昭和人名辞典』Ⅱ第3巻掲載分
久富順 染織図案家 明治32年生。昭和4年落合万水塾卒後独立。小巾友仙部門図案家として著名で図連委員を務める。
諏訪庚子郎 染織図案家。明治33年生。昭和2年安田翠仙塾卒。京都千治商店意匠部員として7年間勤務後小巾友仙染織図案家として独立。なお、日本染織図案委員、一般図案懇話会委員を兼任

街頭派が昭和10年の後いつまで続いたか不明だが、メンバーのうち数名は染織図案界でそれなりの地位を有したようである。しかし、明治期の染織図案界の研究は見かけるが、昭和戦前期の街頭派を研究している人はいなそうだ。
(参考)府立京都学・歴彩館が街頭派同人『街頭派』2巻(マリア画房、昭和7年)を所蔵している。

*1:事務所は京都市富小路丸太町