神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦時下に迷惑な武林無想庵一家


秋田雨雀日記』第4巻によると、

昭和20年7月23日 今日約一ケ月黒石に滞在した武林夢[ママ]想庵夫妻と、夫人の息子の広康君は黒石を出発して新潟に向った。新潟では画家の水島君のところに一時滞在するらしい。二人とも漂浪癖があって一ケ所に滞在する考えがない。平素としては面白いがこんな時にはちょっと困る。頼ってこられる方でかなり迷惑をする。形勢を観望しながら黒石滞在をすすめたが夫人は一向きき入れなかった。なかなかわがままな性格だ。


武林の略年譜(『武林無想庵追悼録』無想庵の会、昭和37年7月)の昭和20年の欄に、黒石の秋田雨雀を訪ね、岡崎旅館に一月近くいた後、7月に青森県にも空襲が始まったため、裏日本を秋田、燕町、二田、金沢、京都と廻ったとある。


「画家の水島君」とは、水島爾保布のことだろうと思い、水島が当時どこに住んでいたか調べてみる。そうすると、『現代出版文化人総覧 昭和23年版補修版』(『出版文化人名辞典』第2巻)で、新潟県西蒲原郡燕町下横丁 関川敏雄方に居住していたことがわかり、年譜にある「燕町」とは水島の疎開先と確認できた*1
しかし、無想庵に押しかけられた水島がどう思ったかまでは今のところ不明である。

*1:かわじ・もとたか編著『水島爾保布著作書誌・探索日誌』(杉並けやき出版、1999年6月)にも、水島が硫黄島陥落後、新潟県燕市に移ったことが記されている。ところで、この本の続編は存在しないかしら。誰ぞも、『戦時読書運動書誌・探索日記』なんてのを刊行しないかしら・・・