島崎藤村の神津猛宛書簡に金尾文淵堂が出てきた。
明治38年5月8日付け書簡には、5月4日のこととして、
この夜金尾文淵堂なる書店の主人来訪、「文芸倶楽部」紙上にて小生の出版事業を聞きたりとて、その一手発売の委托を乞ひに来る。書肆の機敏可驚、尤も思ふよしありて発売上の相談は「破戒」の完成まで一切せざることになし(田山氏の注意もありて)同書店へも此旨を通じ申候。
6月22日付け書簡では、
いつぞやお話せし金尾文淵堂といふ本屋の思ひつきにて、小生の詩集にちなみ、和田英作君に依頼して作りし六葉の絵葉書版下出来の由にて、今朝持参、(中略)いづれ出版の上は御送り可申御笑覧被下度候。
石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』によれば、金尾文淵堂は明治37年9月〜38年3月の間に大阪から東京へ移転したというから、東京進出から間もない頃の話である。
追記:上記書簡については、田熊渭津子「金尾種次郎年譜考」『混沌』第14号(平成2年6月)で言及されていた。
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書物奉行氏に招かれた「はてな」も、30万アクセスに近づいた。誰ぞは引きこもっているので、当分追いつかれそうもない、ふふふ。
猫ブームなのか。「ナベツマ」ならぬ「ねこ鍋」とか、貴志駅の猫の駅長とか、猫猫先生も愛読している(だろう)大島弓子「グーグーだって猫である」は映画化。