神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『『食道楽』の人 村井弦斎』余話(その9)


6 坪内逍遥村井弦斎



日記は、元々公開を予想していないため、第三者が読んでも意味不明の記述が多い。これが、欠点でもあるのだが、また、一種の魅力にもなっている。
坪内逍遥の日記にも、色々謎が潜んでいる。
『未刊・逍遥資料集一』から引用すると、

大正7年7月29日 木呂子来、料理辞彙 弦斎序文承諾云々


「木呂子」というのは、別の日の記述によると春陽堂の人。
この内容から見ると、春陽堂から坪内が『料理辞彙』を刊行するに当たり、村井弦斎が序文を書くことを承諾という風にも解することができるのだが、坪内にはそんな著作はないようである。没になったということか、別の解釈があるのか、わかります?


参考:黒岩さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)によれば、この頃から、木曾に滞在し、御嶽山の木食行者に取材をする弦斎である。