神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『『食道楽』の人 村井弦斎』余話(その8)


5 弦斎ファンだった文豪


日露戦争開戦後の、明治37年4月、弦斎の愛読者であった当時21歳の青年が、歌舞伎座で弦斎原作の「桜の御所」を鑑賞していた。彼の日記(全集第11巻)を引用しよう。


明治37年4月9日 (略)新橋に着く(略)歌舞伎に行く 一番目は、小桜姫*1の性格の如き甚だあいまいにして。かの如き女は嫌ひなり 筋も感心せず 梅幸 羽左ェ門共にヒをシといふは心持悪し(略)


福地の脚本が悪かったのか、後に文豪となるこの青年にはあまり印象の良くない演出だったようだ。
彼は、「書き初めた頃」(初出「文学の世界」第1号、昭和23年5月。全集第8巻所収)で次のように述べている。


政治小説で「雪中梅」といふのも読んだし、「唖の旅行」「浮城物語」なども愛読した。(中略)
その次に愛読したのは、黒岩涙香、丸亭素人、村井減斎、ちぬの浦浪六の順で、片端から読漁つた。
自分が文学をやる気になつたのは明治三十七年頃ではないかと思ふ。はつきり決心したのはそれから二三年后かも知れない。


具体的に弦斎のどの作品を愛読したとか、『食道楽』を愛読したのかということまでは不明だが、弦斎の作品が、彼に多少なりとも影響を与えているのであれば、興味深い。


この彼とは、明治37年当時学習院高等科に在籍していた志賀直哉である。


*今日は、「夏の文学教室」で黒岩さんの講演がある日。がんばってね!

*1:原注:この時の一番目、村井弦斎新聞小説を脚色した福地桜痴の新作「桜の御所」(五幕)の登場人物。(略)