昨今のバカ者は、うっかり留学させて箔を付けさせると、帰国後すぐにやめて転職したりしてしまうが、戦前そのような無節操な若者はいなかったはずである。
ところが、大正4年から5年にかけて、ニューヨークのパブリック・ライブラリー付属ライブラリー・スクールへ留学のため派遣された、早稲田大学図書館員の毛利宮彦が、帰国後まもなく退職しているのは、大きな謎であった。
坪内逍遥の日記にその謎を解くヒントが隠されていた。
『未刊・逍遥資料集一』(平成11年12月)から引用すると、
大正6年
1月7日 図書館の件、湯浅の件、毛利の件
4月28日 毛利の母来
市島を招き 宮彦の件協議
5月29日 毛利宮彦、彼の事件後はじめて来、訓戒を与ふ
7月20日 毛利来
9月6日 午前 湯浅来る、主として毛利の件
9月26日 竹村誠也へ毛利の件をいひやる
午前続稿、毛利来 辞職を勧む
10月3日 毛利 辞表を出したり、近々帰国云々とて来
10月18日 毛利宮彦来、廿日名古屋へ帰る云々
11月5日 毛利来、近々大阪へ移住云々
これによれば、毛利はいわゆる「諭旨退職」(正確に言えば、それに近いもの)であったことになる。
司書資格がないわすが、こんなことを記事にしてはいかんかも・・・