神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

早稲田大学図書館員毛利宮彦の謎


「書物蔵」に出会わなければ一生覚えることもなかったかもしれない「毛利宮彦」という名前。あちこちで見かけたので、だれぞのために報告しておこう。


初代早稲田大学図書館長市島春城の日記(「翻刻『春城日誌』。「早稲田大学図書館紀要」49号)から。


大正元年10月20日 校友毛利宮彦、図書館へ入り事務員となる件二付来訪。


坪内逍遥の日記(『未刊・坪内逍遥資料集』4集・5集)から。


昭和 2年6月14日 毛利宮彦
    6月30日 午前も毛利宮彦
    7月 1日 午後 市島を訪ふ 毛利の件 演博の事等
    10月19日 毛利宮彦
    11月 1日 毛利来
    11月11日 毛利来
    11月30日 毛利来、早大図書館不調の件

昭和5年 6月 4日 毛利宮彦来(自動車を待たせおきて)

昭和6年11月24日 夜食後、毛利宮彦来、さしあたり窮迫、何卒援助云々、現状を語りて断る、すぐ去る


昭和2年11月30日の「早大図書館不調の件」というのは、図書館への復職への失敗という意味だろうか?
また、昭和6年の毛利の「窮迫」って気になるね。このころは、図書館事業研究会を主宰していたようだから、その関係か?


毛利の窮迫に対して、坪内は冷たい対応をしたように見えるが、この後、12月28日の条に「毛利宮彦へ返書と共二20送付」とあるから、20円送付したと思われる。


毛利の詳しい経歴がわからないので、せっかくのデータも分析ができない。


*毛利ネタなんて書くと、だれぞに「剣呑」と言われるか、喜んでくれるか、ちとスンパイ・・・