神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

別冊 まるごと一冊金尾文淵堂(その3)


3 内田魯庵と金尾文淵堂



三村竹清(三村という人物について、詳しくは山口昌男内田魯庵山脈』参照)の日記から。


明治43年11月5日 内田君来る 内田君話二与謝野晶子の短冊ほしゝとて、前年金尾文淵堂に頼ミ 已に三年を経たり 昨日文淵堂来り 五枚出してどれでも御気に入りたるもの何枚にてもとれとのこと故 二枚とりたるに文淵堂曰、先生にさし上げて置いて申るもをかしけれど これは一枚どれ位で買へると思召すとの事也 もし晶子さんが死んだら二十五銭もするだらうといへは 文淵堂曰、丶丶堂で一円宛で売つて居りますが 毎月七枚位は売れるさうです 此頃原稿料を十五円さし上る都合二なつてゐます処 御使で五円斗りくれとの事故 持参したら 只貰つてハきのとく故 五枚短冊を上るとの事 原稿料の内金のつもりが大あて違ひでした 云々


石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』によれば、魯庵は金尾の編集ブレーン的な存在で、晶子の『新訳源氏物語』は魯庵の推薦により始まった企画とのこと。
また、この日記の前後、晶子の作品は、金尾から、選歌集『黒髪』(明治40年1月)、歌集『春泥集』(明治44年1月)、『一隅より』(明治44年7月)が刊行されている。