神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その13)


7 旺文社社長赤尾好夫とクラブシュメールの宴の日々


旺文社がまだ、欧文社と称した昭和15年9月に創刊された雑誌『新若人』。『言論統制』によれば、「陸軍情報部が全面的にバックアップした総合雑誌」であり、同誌への鈴木庫三情報官の「熱の入れ方は尋常ではない」とされている。


同誌の何冊かを見ることができたので少し分析してみよう。
第2号には鈴木お得意の「国防国家とは何か」が掲載されているほか、西村伊作唐木順三、富沢有為男の名前が見られる。しかし、まあ、これは偶然かもしれない。
全体的に執筆者・座談会出席者として多いのは


①情報局の官僚や軍人(奥村喜和男情報局次長、大熊譲情報局第二部第二課長、平出英夫大本営海軍報道部課長ほか)
国民精神文化研究所研究員(小島威彦、堀一郎、大串兎代夫、吉田三郎、伏見猛弥、志田延義)
これらは鈴木の人脈としてわかる。
(ちなみに、このうちスメラ学塾の講師は、奥村、平出、小島、吉田、伏見、志田)


そして、③として、これらとは直接の関係のないクラブシュメールのメンバーも登場してくる。深尾重光、城戸又一。


深尾は「高知県出身、東北帝大理学部卒業、文部省在外研究員としてアメリカ、独、伊、バルカン各国に留学し、昭和14年帰朝された。著書に『ナチスの科学政策』その他がある。」と紹介されている。また、城戸は東京日日新聞欧米部副部長とされている。
小島→伏見→鈴木→赤尾という伝手だろうか。


その他、市河彦太郎(元外務省文化事業部課長。スメラ学塾の講師)の駐イラン公使からの帰朝報告に加え、徳永康元の「大戦下の欧州を旅して」とか、富沢の「座談会 大東亜文化建設戦に従軍して」なんてのもある。富沢も、大宅らとともにジャワ文化報道作戦に参加していたのだ!
ついには、桜沢如一なんて名前も発見できるので、「どうなっておるんじゃ」と言いたくなる。


しかし、一番驚くべきは、④京都帝国大学文学部教授小牧実繁の率いる地政学「京都学派」。


キタ━━━━(゚∀゚)━━━━って、感じ。


「日本地政学」あるいは、「皇国地政学」と称されるこのグループ(別技篤彦、室賀信夫、野間三郎)がなぜ、この雑誌に頻繁に執筆しているか、この疑問を解く鍵があった。