東京美術学校長上野直昭の日記『上野直昭日記』(ぎょうせい、平成9年3月)に反町茂雄の従弟反町十郎の名前を発見。
(昭和二十年)
九月十二日 (略)反町茂作来る。弟が社長たる英工社に図案設計品を求む。(略)
九月二十一日 (略)村田と相談の上反町氏へ小島宗一郎推薦。
九月二十九日 (略)村田、小島宗一郎を伴れくる。反町十郎へ紹介して、訪問せしむ。
(二十一年)
十月二十八日 (略)途中小島に会ふて同伴。英工社のいきさつを述べ辞職するといふ話(略)
同書の「上野直昭日記人名録」には、小島宗一郎について「本名宗一、昭和4年美校図案科卒」とある。反町十郎は、『古文書コレクションの源流探検ーー反町十郎、反町茂雄、木島櫻谷、そして・・・』(慶應義塾図書館、平成29年10月)によれば、明治36年生、昭和2年慶應義塾大学経済学部卒、実業家として活躍する一方、重要文化財「越後文書宝翰集」の旧蔵者としても知られるように古文書の蒐集家でもあった。昭和57年没。また、反町茂作や反町茂雄の実弟であるが、叔父新作の養子となったため、家系図では反町茂雄らは従兄に当たるという。
反町茂雄『一古書肆の思い出』4巻(平凡社ライブラリー、平成10年11月)にやや詳しく経歴が書かれている。
反町十郎さん。古文書や古写経の、ごく良い物だけを買う人。(略)元来は時計製造会社のオーナー的社長でしたが、戦時中は軍に半ば徴用されて、主に小銃の信管を製作させられ、終戦時には一万人もの工員を使用していました。敗戦決定後に、軍は全国の軍需工場に、既納の軍需品代として、過分な程の多くを支払い、(略)その余沢を受けたのでしょうか、相当多くの善本を購入し、即金で支払ってくれましたから、大分に助かりました。その後、会社は潰れましたが、手堅い人でしたから、ガソリン販売会社の社長や保険会社の大株主として不足のない生活をし、時々に名品を買いつづけました。
軍から過分な程の金を貰ったのがいつかわからないが、昭和20年9月の段階では、実兄の茂作を通して東京美術学校に図案設計品を頼む必要があったということになる。
なお、『塾員名簿』(慶應義塾、昭和17年12月)によれば、昭和17年の時点では、鶴巻時計店専務取締役、東神火災保険会社取締役である。日記に出てくる英工社というのは不明。
一古書肆の思い出 (4) (平凡社ライブラリー (271))
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