神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戸川残花の長男戸川浜男の蔵書印

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弘文荘の反町茂雄は、数多い得意客の中でも中山正善、清野謙次、戸川浜男の3人と最も親しくしていた。中山は天理教の生き神様、清野は専門分野(医学・人類学)では世界的学者ということで多少の遠慮があったのに対し、実業家の戸川はまったく楽だったという。反町の『一古書肆の思い出』3巻(平凡社ライブラリー、平成10年9月)によれば、戸川の父親は戸川残花(本名・安宅)で、

浜男さんは、戦前は大阪の東洋棉花株式会社(今の総合商社トーメン)という、三井財閥系の有力な商社の専務取締役として盛名があり、戦時中は、軍の要請で中国へ出向し、北京の食糧公団の総裁を勤めて居られました。戦後は追放で、古巣の東洋棉花等にも近寄れず、不自由勝ちの御生活と察せられましたが、氏素性が良いだけでなく、名利を求めぬ恬淡な性格でしたから、どこか繊維関係の中小の会社の、名義だけの社長をつとめて、悠々自適の御生活でした。

という。この戸川浜男が、『秋田雨雀日記』(未来社)に出てきた。

(昭和十八年)
六月二十八日
(略)午前十一時半から移動演劇瑞穂劇団の島田友三郎君の結婚式に臨んだ。新婦は戸川民子といって、戸川残花の令孫だということを会場へきてはじめて知った。お父さんは残花翁の長男で技師で、書籍の蒐集家だそうだ。
戸川翁とは鬼子母神でたびたびお目にかかっている。幕臣で文部省の顧問格の人だった。三十才のころよく逢っているが、立派な白髪の人だった。
(午前十一半日比谷公園松本楼、島田友三郎結婚、戸川浜男長女民子。)

括弧は「凡例」によれば、「欄外の心覚え、メモ等」である。戸川が書籍の蒐集家であることは広く知られていたようだ。コレクターということで、「蔵書印データベース」を検索したら39件ヒット。ただし、浜雄が本名のようで蔵書印主は「戸川浜雄」とされ、「戸川氏蔵書記」「残花書屋」「賓南」「賓南過眼」の4つの蔵書印が見られる。