神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦前も小林信子の静坐社に通っていた福田與

福田與が戦後静坐社に通っていたことは、「静坐社サロンのメンバーだった福田與先生」で言及したところである。戦前はどうだったのかなあと思っていたら、自伝『満天の星を仰ぎて』に出てきた。

私は昭和六年ごろ、ふと何心なく京大の掲示板を見たところ、仏教青年会の主催で同朋誌主催の足利浄円師を招いて◯◯教室でご法話を聴く会を催すと書いてありました。(略)その司会者は今にして思うと、西元宗助氏だったように思います。その帰り校門を出た所でひょっこり足利先生にお会いしたのでご挨拶をいたしました。先生は、
「これはこれは福田さんの奥さんですか、暇を見つけてせいぜい静坐をなさるがいいでしょう」
と、聖護院の小林信子さんの家を教えてくださいました。私は足利先生のこのお言葉を守って、三年ばかりみっちり静坐社に通ったのでした。

静坐社の創立は昭和2年なので、創立からさほど年数が経っていない頃に参加していたことになる。福田は静坐のおかげで長男の出産(昭和11年)はびっくりするほど安産だったと書いている。また、福田は昭和5年12月に雑誌『草の葉』を創刊しているが、昭和14年発行の6号に「静坐」の平野草明から寄稿されたという。