神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

四国にも滞在していた折戸彫夫

以下は、下書きにあったもので、追記することがあったと思うが、とりあえず公開する。「大空詩人永井叔とその時代」も参照されたい。

太田明編『四国詩文学選』(現代書房、昭和10年9月)によると、

折戸彫夫 1903年出生。主として名古屋に於いて育つ。処女詩集は「虚無と白鳥」(1928)、第二詩集は「化粧室と潜水艦」。其後昭和七年頃より独自のシネポエムを書き始め、その理論を建設した。次いで、シネポエム論より出でて、詩的モンタージュの理論を公にし、句と句との間に余白を置くモンタージュ詩のフオルムを形成した。(略)

「化粧室と潜水艦」は、正しくは『化粧室と潜航艇』。前掲書によると、折戸の住所は、この頃は「丸亀市南條町一四金子方」にあった。『虚無と白鳥』(ウルトラ編輯所、昭和3年)は、安西冬衛の日記*1にも顔を出す。

昭和4年2月13日 ○虚無と白鳥−−「中庭」扉絵ノ如シ云々−−の礼状折戸氏へ。

    2月23日 折戸彫夫より礼ハガキ。

このほか、折戸は、中野嘉一『前衛詩運動史の研究』によると、
『Ciné(シネ)』(昭和4年2月〜5年6月)・・・山中散生亀山巌、井口正夫、橋本義郎、西脇得三郎とともに同人
『旗魚』(昭和4年3月〜8年4月)・・・村野四郎、山村順、山崎泰雄、岡崎清一郎、渡辺修三、福原清などとともに同人

*1:安西冬衛全集』第七巻