実は海老名文雄にはちょっこし付け足しがあるが、その前にあっちゃんもビックリ!?の遠藤節ネタを。
小谷野敦『久米正雄伝』407頁は、久米が書いた『拓きゆく道』(講文館、昭和8年3月)について、福島県会議員で郡山市参事会員の原孝吉*1の伝記読み物と紹介し、共著者遠藤節については、原の縁者でもないらしいし、助手であろうか、としている。この遠藤と同一人物ではないかと思われる者が、戦前読売新聞記者であった。昭和19年9月1日付読売新聞には、遠藤正義という人の訃報が載っているが、本社検閲部員節氏実父とし、福島県田村郡守山町御代田の自宅で31日に亡くなったとしている。守山町は現在は郡山市に編入されている。この遠藤節(えんどう・さだむ*2 明治40年生、昭和44年没)は、若い頃は作家志望で小説を書いていたという*3が、戦後は福島民報の平支社長となっている。その後離婚するが、長男は母方の姓中村を名乗ることとなる。即ち、もう一人のあっちゃん、元参議院議員の中村敦夫である。
(参考)遠藤は福島民報を辞めた後、ミニ新聞を発行したりしたというが、「グーグルブックス」で見られる斉藤五男『鍾愛の丘』28頁に福島の地方新聞社の社長として出てくる。