神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

川端康成が回想した久米正雄のパリ訪問

川端康成昭和32年国際ペンクラブ執行委員会出席のため、渡欧。川端の同年3月27日付川端麻紗子宛書簡に、

今日Spainから帰つた小松君と牡丹屋で(略)夜食べ、横光君、久米さん、今さんなどの泊つた家(モンマルトル、藝術家町)を見、横光さんが岡本太郎さんにつれられて毎日座ってたといふ、カフエに行くと、佐藤敬さんが来た。

と書かれている。「久米」とある久米正雄は、『巴里週報』(149号、昭和4年4月)の「モンパルナスから」によると、「久米正雄氏、目下アカデミイに通ひ、コンテで盛に練習中、秋のサロンに出品の意気込の由」とあるが、モンマルトルに泊まったというのは、確認できない。久米らの話を川端にしたのは、「小松君」とある小松清だろう。久米がフランスにいた時には、小松はフランス中南部ロット県カオール近郊の村サン・シール・ラポピーにアトリエを設け、滞在していた。ただし、久米に会ったのかは確認できない。「今」は今日出海で、昭和12〜13年の渡仏時に小松とは親しくしていた。「横光」は昭和11年東京日日新聞、大阪毎日新聞両紙の特派員として渡仏した横光利一で、小松と面識があったかは不明。横光が太郎と親しくしていたことは、横光の『欧洲紀行』に書かれている。

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