神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

久米正雄と画家林倭衛

久米正雄昭和4年パリに到着した時のことを書いた「モン・アミ」の登場人物の正体については、2010年10月2日に探求したが、ma-tango氏や猫猫先生に御教示いただいた分も含めて、整理すると、

画家
・相澤八郎(N−−洋画会の創立当時に有望を謳われた新進画家で、パトロンは鎌倉のM氏。渡仏してから五、六年以上になる。久米とは画学生時代に本郷辺のカフェーで知り合いになったという)・・・不明
・医師で画家を兼ねているM君・・・慶應医学部卒の宮田重雄
・有名な実業家で喜劇作者を兼ねている父を持つY君・・・益田太郎冠者の息子益田義信
二科会の中堅で、風格掬すべきH君・・・不明
・勉強家で仲間でも将来を畏れられているI君・・・伊藤廉?
・篤実で談話のうまいS君・・・佐分眞?
・温和しいK君・・・不明
画家以外
・フランス絵画の蒐集家として、巴里の画会でも殆ど名を知らぬ者はないF氏・・・福島繁太郎
・北大教授(ママ)で、ソルボンヌへ通うよりも、アカデミーのクロワキに通う方が面白いというO君・・・北大医学部助教授の岡田正夫
・元は好事家のピアニストのK君・・・不明

二科会のH君が不明だったが、久米が『手品師』(鎌倉文庫、昭和23年9月)の「巻尾に」に書いていた。

「モン・アミ」は、ずつと遅れて、私が第一回の外遊中、巴里で所謂モンパルナス生活を、画家の林倭衛君や宮田重雄君たちと共にしてゐた際、思ひついたもの。是は林君の家庭争議を醸したと聞くが、多少の情景は借りたにしても、同君其ものがモデルでは無い。紀行文的な所を除いて、純然たる虚構小説である。

林は、大正7年の第5回二科展で二科賞受賞、大正9年二科会友となっている(ただし、昭和4年当時は、春陽会員)。また、年譜*1によれば、大正9年広津和郎、久米、芥川龍之介室生犀星、出隆らを知ったという。昭和3年1月小林和作、林重義らとシベリヤ鉄道経由で渡仏、4年4月帰国している。その前の大正10年7月にも渡仏しているが、この時クライスト丸に同乗していた*2小松清と親しくなっている。小松は、画家「K君」の候補になり得る。なお、小谷野敦久米正雄伝』312頁で直木三十二の代作と推定している久米名義の「鸚鵡」に出てくる画家林氏が、林倭衛である*3

残る謎は、相澤八郎の正体である。

(参考)「二科会の初日をのぞく里見とんと久米正雄」(1月8日

*1:小崎軍司『林倭衛』(三彩社、1971年)

*2:他には、坂本繁二郎小出楢重、硲伊之助も乗船。

*3:林は大正10年9月の第8回二科会に「鸚鵡」を出品している。