神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

織田純一郎、京都に生まれ、京都に死す


オタどんこと、織田丼之助氏の先祖に織田純一郎という人がいる*1嘉永4年5月22日、京都烏丸岡村町に生まれ、大正8年2月3日に亡くなっている。ロード・リットン(エドワード・ブルワー=リットン)の『アーネスト・マルトラヴァース』とその続編『アリス』の抄訳である『花柳春話』(明治11年10月-12年4月)の訳者として知られる。黒岩さんの解説がついた『柳田泉の文学遺産第1巻』にもその名前は散見されるが、詳しくは柳田の『明治初期翻訳文学の研究』に書かれている。『日本近代文学大事典』にも立項されているほか、昭和女子大学の『近代文学研究叢書第18巻』にも一章が割かれている。この織田も、晩年は不遇だったようで、三田村鳶魚の日記には、

大正8年2月3日 織田純一郎京都に死す、六十九、古き新聞記者にて、西洋小説を訳せし人なり、文も妙ならず、格別好評のものもなかりし、冴えぬ男といふべし。


とされている。墓は、左京区仁王門高倉西入ルの清光寺にあるという。


(参考)森せんぞーは、「四十九名家執筆の古人評論」『歴史と人物』昭和47年8月号(『史伝閑歩』所収)に次のように書いている。

『古人評論』中、明治に活躍した人物を挙げてゐるものに、織田純一郎の「陸奥宗光」の一文がある。織田氏は明治前半期の翻訳家として、一部の人々の注意するところとなつてゐる人であるが、その織田氏に、かやうな一文のあることなどは、研究家の諸氏も気が附かずにゐるのではあるまいか。その文を読むと、織田氏陸奥その人を識つてゐたやうに思はれる。


柳田によると、織田は明治24年11月朝日を退社し、同月21日創刊の『寸鉄』の主筆兼社長を務めた。万事親分視されていた陸奥が後援したものという。

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関西文化の日はこれから。


週刊金曜日』に神保町の「りぶる・りべろ」のおじさんが出てた。


12月19日まで新宿歴史博物館で「林忠彦写真展「新宿・時代の貌−カストリ時代・文士の時代−」」開催中。

*1:冗談である。