この陋劣なる人柄の明治文学研究家とは誰だろう。『本間久雄日記』によると、
昭和34年1月3日 六時頃、島田謹二氏より来邸の旨電話あり、間もなく同氏来る。談、英文学のこと、定年制可否のこと、明治文学研究家の態度のこと、明治文学研究家某氏の人柄の陋劣なること、学問愛好の同志間にて新しき研究懇話会をつくりたきことなど、種々談笑数刻。九時半かへる。
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2005年11月8日から始めたこのブログも4年。平均すると1日当たり約510件のページビューだが、多いと喜ぶべきか、それだけかと見るべきか。「くうざん先生」に追いつくには、あと1万件。ん、猫猫先生が猛追してきた。
にゃんと、はほへほ氏は百万遍の初日(の午後)に出現していたらしい。「は、ほ、へ〜」(ウェルかめ)。
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こう事件が続くと、娘の一人暮らしに反対する親父が増えそう。