小田光雄氏の「古本夜話110」は、「酒井勝軍と内外書房『世界の正体と猶太人』」。
僭越ながら補足させていただくと、
・酒井の思想遍歴については、久米晶文「神々の狂宴 酒井勝軍と酩酊の日本近代史」という詳細な研究があり、近く単行本化(新人物往来社)されるようである。
・酒井は、『日本キリスト教歴史大事典』に立項されている。
・古賀政男の弟治朗と酒井の出会いの経緯については、下嶋哲郎『謎の森に棲む古賀政男』(講談社、1998年7月)にも不明とあり、私も知らない*1。
ついでに、酒井や古賀兄弟が出てくる真崎甚三郎日記から幾つか引用しておこう。単に「古賀」とあるのは、弟の古賀治朗である。
昭和13年6月27日 午后一時江藤君の紹介により古賀治朗、鈴木平次郎、石原靖堂の三氏来訪す。岡本米蔵氏育紐[紐育]にありて土地株式会社を設け土地を所有し之を市街地となせば数十億の値を有するにより之に資を投ぜしめんとする運動と、又同氏を私設公使的に任用するの急務なることを力説せんが為なり。予は事情も知らず、又岡本なる人物も解しあらざる為、単に聴き置くに止めたり。
7月31日 古賀十二時に来訪、其の兄政雄[男]氏は作曲の大家にして米国に特に著名なりと云ふ。仍て今回之を民間使節として派遣のことに努力中とのことを報ず。予も其の精神に同意す。
8月7日 古賀十二時半に来訪、政雄[男]君は初対面なり。予は時局の大要を説き其の米国行を鼓舞せり。
10月2日 古賀七時半に来訪、上記の出版完成せりとて予に贈呈すべく来る。
11月1日 一時古賀君、竹谷内米雄氏を伴ひ来訪す。酒井勝軍氏のピラミツドに関する講演のレコードを持ち来り予に聞かしむ。
11月14日 古賀政男、松下君*2等と対談中来訪、本日米国に向て出帆すと云ふ。告別の為来れるなり。
11月17日 古賀九時に来訪、政男氏出発の挨拶並に酒井将(ママ)軍の著書に就て荒木*3と会見の紹介を乞ひしも予は之を当分見合せしめたり。
14年10月26日 古賀十二時半に来訪、酒井勝軍の「進んで○○を敵とすべし」なる著書を持ち来る。高浦研究所*4は釜再び失敗せりと云ふ。案外頭なき者共なり。
18年6月1日 古賀九時に来訪、時局を嘆き且つ磯原文書に就て深き信仰を有し、予と鵜沢博士とを会見せしめんとする意を有するが如し。予は確答を与へざりし。
注:[ ]は、校訂者による註記。カタカナをひらがなに改めた。
「上記」は、酒井の国教宣明団から昭和13年6・7月に刊行された『上記鈔訳』前・後篇と思われる。酒井の講演のレコードというのは、私は見てないが、確かテレビで放送したことがあったと思う。
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*1:「ここにも市河彦太郎の影が・・・」(2007年4月13日)、「「銀シャツ党」首領ペリーと古賀政男の弟古賀治朗」(2008年10月9日)、「皇國運動聯盟に集う神代文字肯定論者と否定論者」(2008年11月26日)参照。
*4:下嶋の書165頁に出てくる政男が金をつぎこんだというTか。